舞城王太郎とルター

 ●舞城王太郎ディスコ探偵水曜日』上・中・下、新潮文庫
 アメリカからやって来たハードボイルドな探偵(『煙か土か食い物』)、桜月淡雪(『阿修羅ガール』)、九十九十九や猫猫にゃんにゃんにゃん(『九十九十九』)、ルンババ12と「世界は密室でできている」(『世界は密室でできている。』)などなど舞城の過去作と繋がった要素が枚挙に暇がないほど登場する作品で、それ自体はまあいつも通りとも言えるけど、出来栄えからみても現時点での集大成のような大作だと思う。
 前半は清涼院流水を彷彿とさせる、まっとうに捻くれた新本格ミステリだったはずが、途中から一気に展開が変わり、壮大な設定のSFになっていく。
 もう誰かしらに指摘されてるだろうけど、舞城の「館もの」ってこの作品が初めてじゃないだろうか。JDCトリビュートの『九十九十九』で「館もの」が起こっているらしいと伝聞で示されはしたけど、結局そこでは実際に描かれるには至らなかったわけだし。
 それはそれとして、村上春樹の『ねじまき鳥クロニクル』を思い出さずにはいられなかった。あの小説で村上春樹ノモンハン事件という現実の出来事に言及し、「悪」へのコミットというところに踏み切った。『ディスコ探偵水曜日』でも全世界の子供を巡って「悪」の問題が提示される。ただしその子供を巡る事件が実際に起こったものではない辺りが、良くも悪くも舞城らしさであるように思う。
 元々割と一貫したメッセージを主張してるようにみえる作家だったけど、こんなにも価値観を押し出した「倫理」的な展開は今までの舞城作品にはなかった。ここからどうなっていくのか素直に楽しみ。
 
 ●マルティン・ルター『新訳 キリスト者の自由・聖書への序言』石原謙訳、岩波文庫
 人は行いによってではなくただ信仰によってのみ義となり祝福される、というのが主な論旨。そう大雑把に言えるほど明快な議論になっている。
 もちろんここに様々な論点が絡んでいて、旧約に則った「律法」に対して新約の「福音」を切り離しその重要性を説くこと、当時の社会で旧弊と化していた教会権力への批判を行うことなどが目論まれている。
 書物を巡る社会的インフラが整い始めていたことと同期して、ルターの著作は聖書の翻訳も含めて「ベストセラー」になる。先日読んだ佐々木中の『切りとれ、あの祈る手を』を参照すれば、ルターの著作の出版部数は「一五〇〇年から一五四〇までのドイツの書籍全体の三分の一を占め」るという。ちなみに『九月聖書』の売り上げは刊行から一五三四年までの十二年間で一〇万部らしい。識字率五パーセントの社会にあって!