サイードとか

 ●エドワード・W・サイード『知識人とは何か』大橋洋一訳、平凡社ライブラリー
 ここで言われる「知識人」はいわゆる「大衆」批判を行うような立場とは少し違う。彼ら・彼女らが問題にするのはむしろ「専門家」の方だとサイードは言う。「なぜなら、この種の人間は(中略)世論を形成し、世論を体制順応型に誘導し、有識者からなる少数の政権担当者集団にすべてをまかせるよう大衆をそそのかしてしまうからだ」。
 知識人と大衆を分けて考えるのは他の知識人論と変わらないが、その上でサイードは知識人に二つの方向性を与えている。彼によれば、知識人は一方では専門家として特定の権威と権力のために有益な発言を行うものだが、他方では「アマチュア」として狭い専門的観点から離れ、社会の中で思考することができる。
 アマチュアとは利益や利害ではなく憂慮や愛着によって動機付けられた活動だ。そうした立場からは特殊な利害が排除してしまう声のない人々を表象すること、つまり声のない人々に代わって発言しようとすることが可能になる。
 またアマチュアリズムは亡命した知識人の話とも繋がっていて、故郷喪失者を目指すべきだと主張される。物の見方が不公平になるような愛国主義を批判し、普遍性において考えるために脱中心的な「漂泊の知識人」であるべきだとされる。
 故国喪失者のくだりは特に左翼らしいが、知識人になるか大衆になるかではなく、知識人の二つのあり方を考えていくところが独特で面白い。

 ●ゴーゴリ『外套・鼻』平井肇訳、岩波文庫
 ドストエフスキーにも強い影響を与えたロシア文学の傑作。
 今更?今更です。