鉄材問題

ダシール・ハメット『マルタの鷹』村上啓夫訳、創元推理文庫
ダシール・ハメット『血の収穫』田中西二郎訳、創元推理文庫
 友人に上遠野作品の二次創作を書かないかと誘われて、ハートレス・レッドとヴァルプルギスこそ最高傑作と考えてるわたしはハードボイルドな九連内朱巳をみたいと思ったんです。とはいえハードボイルドなんて多少かじったことがあるくらいで、いまのままではとても書けそうにない。だからちょっとお勉強が必要だなと思いまして、とりあえずマルタの鷹に手を出しました。
 そんな経緯だったんですけどじっさい傑作ですねマルタの鷹。ほとんど目的を忘れて楽しめた。というか有体にいって感銘を受けてしまった。
 主人公はいわずとしれた私立探偵のサム・スペード。これがまったく内面描写をされず、とにかく行動を起こし、他人になにかいわれても韜晦と皮肉で返す。べつにかっこいいとは思わないけど、みていて気持ちいいのは事実。いや、マッチョなところはたしかにあるとしても、それを感じさせない。チャンドラーとか春樹の登場人物よりずっと好感がもてる。
 ハードボイルドって、徹底して内面性を排除しようとしたところで逆説的に感傷が生まれてくるみたいな印象があったんだけど、それが偏見だったとわかった。というよりむしろ、ハメットの時点ではそうではなかったということかもしれない。いずれにしろマルタの鷹では感傷的な要素は薄いと思う。それがとてもよかった。
 作中でスペードはこんなエピソードを語っている。アメリカ北西部のタコマに、結婚し子どもが二人いて、仕事も順風満帆という「成功したアメリカ人」がいた。彼はある日偶然、ビルから鉄骨が落ちてくるのに居合わせて、すんでのところで命拾いする。そこで彼は人生のカラクリをのぞいたような気がして、立ちすくんでしまう。自分の人生をいくら思慮深く整えていったとしても、人間の命なんて偶然的なもので、なんの前触れもなく起こった出来事であっさり途切れてしまうかもしれない。彼は突然目の前にあらわれた新しい人生観に自分を適応させるため、妻子も仕事も捨てて第二の人生を歩き始めることにする。
 面白いのは、第二の人生もじっさいには第一の人生と大差ないという点にある。彼は二年ほど西部をうろつくがけっきょく北西部に戻ってきて結婚し、その奥さんも前妻とちがったタイプというわけではない。スペードは次のようにいう。「彼はまず、鉄材が落ちてくることに、自分を適応させたが、つぎにもう落ちてこなくなったら、こんどは落ちないことに自分を適応させたというわけさ」
 ここにはいわゆる春樹の35歳問題とも通呈するものがあるんじゃないだろうか。極端に幸福でも不幸でもない、ささやかな人生を生きてきた人間が、あるときべつの人生の存在に気づかされてしまう。ほかの生き方をすることもできるのだと知ってしまう。個人的にずっと疑問なのは、こういうとき、つまりべつの人生があると一度それを知ってしまったら、あらためて一つの人生を引き受けるのはとても難しいんじゃないかということだ。この要請はきわめて倫理的なものだと思う。
 
 なお、血の収穫はあまり趣味にあわなかった。