砕蜂×夜一

●『日本の文学 41 中野重治中央公論社
安部公房『壁』新潮文庫
ドストエフスキー地下室の手記江川卓訳、新潮文庫
●ジャン=フランソワ・リオタール『知識人の終焉』原田佳彦/清水正訳、法政大学出版局

 読んだ本とは全く関係ない話。
 最近はブリーチを読み返してる。ちょうどルキア奪還篇が始まった辺りで一回離れてしまったから、改めてそこからストーリーを追うかたちで。いやほんと単行本だと文句なしに面白くて、今は空座町の藍染戦まで来た。
 元々砕蜂×夜一に興味があって手を出したんだけど、やっぱりこれは鉄板だった。本編では二人の戦闘に決着がついたあとはすぐに他の戦闘シーンにうつるし、ルキア奪還篇が終わった後に挿入される死神たちの日常パートでも二人は出てこないから、二人の確執がどうやって解消されたのかは分からない。でも逆に、描かれていないからこそ想像力がかき立てられるということもあると思う。おまけマンガでは砕蜂がデレ化しているので、何があったのかは推して知るべしということなのかもしれない。
 
 あともうちょっと真面目にいうと、ブリーチのミソジニーの表現は他の少年マンガとは一線を画しているよなあ、とか。
 少年マンガミソジニーっていうのは強さを是とする世界観において女性に力を持たせないということにあると思うんだけど、ブリーチでもそういうのは結構散見できる。そもそも一護って基本的に男としか戦わないしね。
 でも面白いのは、ルキアが死神の力を一護に預けることや、織姫の能力のうち攻撃を司るのが横暴な椿鬼だったりすることで、要するにこの作品の世界では女性の登場人物は自分のなかの男性性を女性性から切り離すのだと思う。といってもその切り離された(切り離させられた)力は必ずしも登場人物から失われるわけではなく、切り離された力が登場人物のものとして使われることもある。(もちろんヒロインの役割を負わされた、たんに力を持ってないキャラもいる)
 典型的だと感じたのは、空座町の決戦で、ハリベルの従属官三人が自分の身体からアヨンという化物を作り出すところ。アヨンは圧倒的な力で敵を蹂躙するものの、凶暴な性格のため彼女たちが命令してもまったくそれに応じない。まさに女性キャラの疎外を表現しているようにみえる。
 力を持っていても疎外されていないのは夜一くらいじゃないだろうか。データ上で力のある卯ノ花隊長は、戦闘シーンがないから検討できない。
 ただ、夜一の場合、砕蜂とセットになることで力を奪われることを免れているようにみえる。女性性を砕蜂に仮託し、その砕蜂にはないものを持っている夜一は当然、強いままでいられる。さらにいえば砕蜂が夜一と戦っている最中に二人の過去篇が挟まれるけど、その描写はまるで砕蜂の嫁入りのようなのだった。良し悪しは別として。